Daydreamという色

読んだものについて適当に書くブログ(雑多です)

文章なんて、全然自由に書けない話

 

 前は中途半端に不真面目に書きました。自覚はあります麹橡です。

 前の文章の題材は、真面目に書けば書くほど自分の人生へのヘイトと周りへの憎悪をブチ撒いてしまうので適当に〆てしまったが、身の回りのゴタゴタが終わった頃にでも、また書きたいとは思ってる。

 だから次に書くときは、身バレに気をつけて書こうと思う

 そんな私は「もう1個の文章が書きたくないから別の文章を書く」という虚無い理由でこれを書いてる。

 これは、ライトな文章にする予定だ。

 

 突然だが、私が最後に作文を書いたのは、中学二年生の時で「感想なんて全然自由に書けやしないつまりゴミ」という内容だった。

 これは、素晴らしく中二病だと思う。そしてそれから作文を避けに避けまくって理系に進学し、人生を挫折しかけたりして、何故か夜な夜なネットに文章を投げている。

 

 そして私は、趣味のほうではわりと自由に書いている。と思っている。

 

 しかし今でも私は思うのだ。

「文章って全然自由じゃないよね」と。

 

 書けば書くほどわかるのだが、文章には目的に応じた型がある。例えば「マッチ売りの少女」が書きたいならマッチを売らないといけないし、「少年漫画」が書きたいのなら「それを少年漫画たらしめる何か」を入れずに書くことはできない。

 ストーリーをテラーしたいなら、どんなに自由にしたところでストーリーの型というものから、文章の流れというものから逃れることができないのである。

 ストーリーという檻の中から人間は逃れられないし、言葉というものには規則があって、不規則すぎたらそれは言葉ではなくなってしまう。

 いっそレポートや卒論ほどカッチリしたもののほうが書いてて楽しいのではないのか。そう思うけどレポートの作成もつらかったりする。

 

 領収書程度の文章を書きたい

 

 そう思う気持ちと「自分だけのストーリーを真面目に書いて、誰かにこれを読ませてやりたい」という気持ちが混じってる。内心はいつだってグチャグチャしている。

 

 そして、これを書いた私は、渋々と楽しそうにもう1個の文章を書くのだろう。

 

 これを15分ほどで書ける人間になってしまった。

 

 まったく、趣味で文章を書くなんて、碌でもないものである。