Daydreamという色

読んだものについて適当に書くブログ(雑多です)

「3.11」という日。

 私には妹がいる。妹は言った。

『私は先生から「新聞の社説を読んで、社説の要約とその感想をノートに書く宿題」を課されている。しかし、今日はどの新聞も東北の震災について書いている。そして、私はこのテーマでは書きたくない。どうすればいいのだろうか。』

 

 そう、これは2018年3月11日に私が思ったことを、今になって書いている文章である。

 

 結論として、妹はネットの新聞から何らかの(つまり3.11以外の内容の)社説を引用して記事を書いたそうだ。

 

 このとき、私は妹と同じダイニングテーブルを囲みながら、違うことを考えてた。

 「3.11という出来事」「3月11日には、そのことについて社説に書くべきと、少しでも教養のある人になら、誰にでもそう思わせるような出来事」になってしまった。

 

 ふわりとそう思ったのである。

 

 例えば、あの震災さえ起こらなければ、社説には、例えば、今年なら森友問題のような、他の日と区別のつかないような他愛のない出来事が書かれていた筈である。

 しかし現実として3月11日は、どの新聞も同じ話題について競うように書くような日になってしまった。

 

 震災は、人々の生活を変えるような出来事になってしまった。

 この瞬間、私は強くそう思った。

 

 東北とは遠く離れた日本に住んでる私にとって、東北地方とは未踏の地であり、震災について書かれた文章を読んでも、何に対してもリアリティのある事象として飲み込むことができないのである。

 いや、リアリティのある物体として、呑み込みたくないだけなのだろう。

 被災された人が聞いたら殴り飛ばされるようなことを言っている自覚はあるのだが、どうしても「3.11」を「実際にこの日本で起こった出来事」として捉えることができないのだ。

 

 私の住んでる地方紙の社説には、

 『「被災地」と「それ以外の地域」には、どうしようもない分断がある。被災者は他の地域に移住する者が多く、「被災地」には依然として、復興する前の姿を残している。』

 みたいなことが書いてあった。

 

 分断はある、そう思った。

 私にとっての「3.11」は、テレビを通した距離にあるのだ。

 

 その距離感を「今日の社説」「ゆっくりゆっくり侵して」いくのだ。

 私は「こんなセンセーショナルな震災があった日」に「何気ない平和な日常」を侵されていくこの感覚を、どうしても認めることができない。

 「3.11」という忘れることができないであろう出来事を、忘れてしまいたいのである。

 

 「ノーモア 3.11」という私の中の建前の中には、もうひとりの自分がいるのだ。

「震災跡地は、公園にでもなってしまえばいい。どうせ何百年後にはまた震災が起きる土地なんて、不毛になってしまえばいい。そんな土地なんていらない。忽然と、日本から消えてなくなってしまえばいい。」

 そう思ってる私がいる。

 

 これが間違ってる考えで、多方面に失礼であるということはわかってる。それでも、そう思ってしまうのである。

 何年経っても、その考えを、「あの日の社説」は私に思い出させ、日本の遠い地から、弱い私の心を糾弾するのだ。

 

 そして、私が平和を叫べるような強くて逞しい人間になれなかったことを、心の隅で少し悲しく思いながら。

 

 例えば今日のような、「3.11」以外の日付のような、

 

 私は平和という檻の中で、ぬくぬくとまどろみながら日々を暮らしていきたいのだろう。

 

 今になって何故これを書くのか、私にはわからないし、わかりたくもないのだが。

 雨の降る中の、散りゆく桜と葉桜が混在するナニカの中で、私の脳内の2018年の3月11日の午後の妹とダイニングテーブルを囲んだ記憶は、ふわりふわりと蘇った。