Daydreamという色

読んだものについて適当に書くブログ(雑多です)

文章なんて、全然自由に書けない話

 

 前は中途半端に不真面目に書きました。自覚はあります麹橡です。

 前の文章の題材は、真面目に書けば書くほど自分の人生へのヘイトと周りへの憎悪をブチ撒いてしまうので適当に〆てしまったが、身の回りのゴタゴタが終わった頃にでも、また書きたいとは思ってる。

 だから次に書くときは、身バレに気をつけて書こうと思う

 そんな私は「もう1個の文章が書きたくないから別の文章を書く」という虚無い理由でこれを書いてる。

 これは、ライトな文章にする予定だ。

 

 突然だが、私が最後に作文を書いたのは、中学二年生の時で「感想なんて全然自由に書けやしないつまりゴミ」という内容だった。

 これは、素晴らしく中二病だと思う。そしてそれから作文を避けに避けまくって理系に進学し、人生を挫折しかけたりして、何故か夜な夜なネットに文章を投げている。

 

 そして私は、趣味のほうではわりと自由に書いている。と思っている。

 

 しかし今でも私は思うのだ。

「文章って全然自由じゃないよね」と。

 

 書けば書くほどわかるのだが、文章には目的に応じた型がある。例えば「マッチ売りの少女」が書きたいならマッチを売らないといけないし、「少年漫画」が書きたいのなら「それを少年漫画たらしめる何か」を入れずに書くことはできない。

 ストーリーをテラーしたいなら、どんなに自由にしたところでストーリーの型というものから、文章の流れというものから逃れることができないのである。

 ストーリーという檻の中から人間は逃れられないし、言葉というものには規則があって、不規則すぎたらそれは言葉ではなくなってしまう。

 いっそレポートや卒論ほどカッチリしたもののほうが書いてて楽しいのではないのか。そう思うけどレポートの作成もつらかったりする。

 

 領収書程度の文章を書きたい

 

 そう思う気持ちと「自分だけのストーリーを真面目に書いて、誰かにこれを読ませてやりたい」という気持ちが混じってる。内心はいつだってグチャグチャしている。

 

 そして、これを書いた私は、渋々と楽しそうにもう1個の文章を書くのだろう。

 

 これを15分ほどで書ける人間になってしまった。

 

 まったく、趣味で文章を書くなんて、碌でもないものである。

『アフロ田中』と私の童貞。

 

 『中退アフロ田中』を読んでみた。もう少しなら3巻までの無料期間があります!! この機会にどうですか? とステマでも撒いておく。

 

 感想文のくせにこのブログの本題はそこではない。きっかけはこんなツイートから始まった。

 

 彼は時々、私が一方的にツイートを漁る関係のうちのひとりであるのだが、これを書いてる私は、正直きっかけなんてどうでもいいのではないのだろうか。

 色々な経緯があったとしても、アフロ田中の読了後の余韻から見ればそんなの、食パンくわえて曲がり角でイケメンとぶつかる程度のものだろう。もちろん少女漫画はイケメンとぶつからないと何も始まらないのだが、イケメンとぶつかるシーンはぶつかる時しか出てこないのと同じ原理だ。

 気になるなら各自でリンクの日付で絞り込み検索を行うなどをして調べて欲しい。

 

 私の感想をまとめるとこうなる。

 私は自他共に認める喪女なのだが、喪女なら『アフロ田中』よりも、今をときめく『やわ男とカタ子』などの方に共感すべきなのに、私の心の喪女は『アフロ田中』を求めていた。

 多分、私が捨てたかったのは女の私には無い筈の童貞という概念なのかもしれない。それを誰も教えてくれなかったから、私はこれを記している。

 

私の童貞とは何だろう

 喪女喪女と言っているが、喪女からの脱却には2種類の方法があると思う。

「童貞を捨てる方法」そして「処女を捨てる方法」で、今の時代ですら、マス受けするのは後者の喪女からの脱却劇である。

 外見を磨きコミュニケーション力を磨き自信をつけてコンプレックスを粉砕する。少女漫画で古くから見られる古典的な方法である。それに少しの今の女性の流行と友情、恋愛というスパイスを加えたら、世の女は皆虜になると言わんばかりの堂々たる風格を感じる。

 つまり、こういうやつである。

 

 でも、本当にそれだけで喪女から脱却できるのだろうか。私の心の喪女はNOと言う。

 喪女はそんな外見と自信と正しい恋愛で捨てられるものではないと思う。勿論、外見を磨き自信をつけることは、恋愛のスタートラインに立つためには重要だと思っている。しかし、本当にそれだけで喪女を倒せるのだろうか。スタートをキメてもゴールが無いと走れないけれど、果たして恋愛にゴールなんてあるのだろうか。

 

 そしてきちんとゴールしないと、恋愛しないといけないみたいな風潮も感じる。だって女の子だもん。これほど暴力的なまとめ方もそうそうないだろう。私はそこら辺の人間よりも、どうもロマンスというものを信じることが出来なくて、私の恋愛はそこに大きなコンプレックスがあると言っても過言ではない。

 走る方法がわからないのではなく、走る目的がわからないのだ。メロスだって理由があって走ってるのに、そんなロマンスだかノリだか同調圧力という、正体のわからないもので走ることが私にはできなかった。

 実際、同学科の数少ない女子の半数くらいは就職の折に正しい恋愛と野望とキャリアを天秤にかけ、キャリアというかバリバリ働くことを諦めている。いわゆる学部外のサービス業系求人への就職、または派遣の事務職になるのである。

 これは、今のご時世では典型的な地方F欄国公立からの共働きな恋愛のパターンであるのだが、いったいこれのどこがいいのだろう。どこにも憧れる要素がないと私は思う。

 これは男女間の雇用格差を言いたいのではなく、あくまで私の考えの、二次元によくある「理想の恋愛」との相違みたいことだと思ってほしい。

 

 きっと「処女を捨てれない皆様」は、「理想の恋愛像」という何かを持って生まれるのだろう。そして、理想と現実のギャップを埋める方法を求めて、ネットの海を彷徨っている。つまり「理想の恋愛」がしたいのだろう。

 

 でも、私はどうだろう。

 私には、一般的に女性は持ってる(と言われている)とされている「理想の恋愛像」が無いのかもしれない。特定の外見をシコいとも思う能力はある。一緒に生活するなら、生活していくのに都合の良い人がいいと思ってる。でも、それって「理想の恋愛像」なのだろうか

 そして、私のこの考えは「適当にヤれて適当に可愛い女いねぇかな。面倒くさくないタイプの。」って思ってる童貞諸君と大差無いのかもしれない

 「恋愛したいけど理想の恋愛ができない」という強い欲求とは違う、「恋愛はしたい。だが、理想の恋愛なんてしたくない」というこの欲求。ここに私の童貞がいるといっても過言ではないだろう。

 

 そして「恋愛」をすることで「理想の恋愛」と「実際の恋愛」のキャップから「自分自身がやりたい恋愛」を探す。それが童貞の卒業なのだろう。

 

 だって、私が考えている「理想の恋愛相手」は、突き詰めると「心から惚れた特定の誰かではなく、特定の条件を持ってる誰かのうちのひとりから、存在を承認されたいな」という感情だからである。

 下手な話、私にとっての「理想の恋愛相手」は潰しのきく存在でしかない。

 これは怖いことなのかもしれない。恋愛に性差があると言い切ることはできないのだが、女性は往々にしてこのことを自覚できないことが多い。でも、潰しがきく相手との恋愛は不毛だとも思えない。

 

 詰まるところ、世の中の女性は目先のロマンスに気を取られて、自分の童貞性を自覚できてないのである。そしてその童貞は結婚という「理想の恋愛」のゴールの後に姿を表し、童貞を飼いならせないと離婚でもするのだろう。

 だから私は自覚できてよかったと思う。ありもしないロマンスに乗せられるのはやはりどこか不快だとも思うし、自分の欲望を本当に理解することは、今後の人生においても重要だろう。

 

 それにしても、アフロ田中を語る筈なのに、アフロ田中が少ししか出てこない奇妙な文章になってしまった。アフロ田中の内容について語るなら、アフロの気持ちと後半の収束具合がうまく纏まってて良かったと思う。

 これを今後の課題として、これからも、地道に文章を書いていこうと思う。

「3.11」という日。

 私には妹がいる。妹は言った。

『私は先生から「新聞の社説を読んで、社説の要約とその感想をノートに書く宿題」を課されている。しかし、今日はどの新聞も東北の震災について書いている。そして、私はこのテーマでは書きたくない。どうすればいいのだろうか。』

 

 そう、これは2018年3月11日に私が思ったことを、今になって書いている文章である。

 

 結論として、妹はネットの新聞から何らかの(つまり3.11以外の内容の)社説を引用して記事を書いたそうだ。

 

 このとき、私は妹と同じダイニングテーブルを囲みながら、違うことを考えてた。

 「3.11という出来事」「3月11日には、そのことについて社説に書くべきと、少しでも教養のある人になら、誰にでもそう思わせるような出来事」になってしまった。

 

 ふわりとそう思ったのである。

 

 例えば、あの震災さえ起こらなければ、社説には、例えば、今年なら森友問題のような、他の日と区別のつかないような他愛のない出来事が書かれていた筈である。

 しかし現実として3月11日は、どの新聞も同じ話題について競うように書くような日になってしまった。

 

 震災は、人々の生活を変えるような出来事になってしまった。

 この瞬間、私は強くそう思った。

 

 東北とは遠く離れた日本に住んでる私にとって、東北地方とは未踏の地であり、震災について書かれた文章を読んでも、何に対してもリアリティのある事象として飲み込むことができないのである。

 いや、リアリティのある物体として、呑み込みたくないだけなのだろう。

 被災された人が聞いたら殴り飛ばされるようなことを言っている自覚はあるのだが、どうしても「3.11」を「実際にこの日本で起こった出来事」として捉えることができないのだ。

 

 私の住んでる地方紙の社説には、

 『「被災地」と「それ以外の地域」には、どうしようもない分断がある。被災者は他の地域に移住する者が多く、「被災地」には依然として、復興する前の姿を残している。』

 みたいなことが書いてあった。

 

 分断はある、そう思った。

 私にとっての「3.11」は、テレビを通した距離にあるのだ。

 

 その距離感を「今日の社説」「ゆっくりゆっくり侵して」いくのだ。

 私は「こんなセンセーショナルな震災があった日」に「何気ない平和な日常」を侵されていくこの感覚を、どうしても認めることができない。

 「3.11」という忘れることができないであろう出来事を、忘れてしまいたいのである。

 

 「ノーモア 3.11」という私の中の建前の中には、もうひとりの自分がいるのだ。

「震災跡地は、公園にでもなってしまえばいい。どうせ何百年後にはまた震災が起きる土地なんて、不毛になってしまえばいい。そんな土地なんていらない。忽然と、日本から消えてなくなってしまえばいい。」

 そう思ってる私がいる。

 

 これが間違ってる考えで、多方面に失礼であるということはわかってる。それでも、そう思ってしまうのである。

 何年経っても、その考えを、「あの日の社説」は私に思い出させ、日本の遠い地から、弱い私の心を糾弾するのだ。

 

 そして、私が平和を叫べるような強くて逞しい人間になれなかったことを、心の隅で少し悲しく思いながら。

 

 例えば今日のような、「3.11」以外の日付のような、

 

 私は平和という檻の中で、ぬくぬくとまどろみながら日々を暮らしていきたいのだろう。

 

 今になって何故これを書くのか、私にはわからないし、わかりたくもないのだが。

 雨の降る中の、散りゆく桜と葉桜が混在するナニカの中で、私の脳内の2018年の3月11日の午後の妹とダイニングテーブルを囲んだ記憶は、ふわりふわりと蘇った。

春は曙、歌は瞬間。

 気がついたら年度が変わって、好きなバンドのメンバーがひとり減っていた。

 

 私はそのバンドが大好きである。しかし、私にはバンドを追っかける程の体力も気力もなく、アルバムをアマゾンで買うくらいの関係である。

 私は、音楽を動画サイトで聴くのが大好きな人間だ。

 特に、カバー曲を、あの独特な掠れた音の不安定なライブ音源で聴くのが大好きだ。

 きっと、これからの音源には、ひとり減った音が紡がれるのだろう。

 

 私はこれを寂しいとは思わない。

 歌が変わっていくことは、寂しいことではないのだと思う。

 

 歌は変化していくものである。

 

 別に、「○年の音源はこれで○年だと…」みたいな面倒くさいファンになりたいわけではない。

 

 歌が変化するのが楽しいのだ。

 

 同じ音源でも、電車の中と自分の部屋で聴くと違う音になる。

 私はその違いを楽しく感じる。

 

 CDの寿命は意外と短いし、今聴いてる歌なんて、100年後には何も残ってないだろう。

 それでいいのだと思う。

 

 きっと私がこの文章を書いたことすら、3年もしないうちに忘れるだろう。

 忘れたくない、わけではない。

 

 ただ、今聴いてるCDのフレーズをからインスピレーションを受信して、100年後には違う歌ができるのかもしれない。

 

 歌手… 特にバンドなんて、永遠とは1番遠い存在だと思う。

 

 だがしかし、メロディには永遠性があるとしても。

 古来より、歌は刹那的で瞬間的で、ロックンロールで、私はこの瞬間的な爆発に永劫の音楽を感じるのである。

 

 ただ、こんな面倒くさい気持ちを、歌に対して感じているだけなのだ。

216円でピアスを収納する

 

 感想記事が難産すぎたから、できたてホヤホヤのクソみたいなライフハックを紹介します。麹橡です。

 

 さて今回は、216円税込でつくるピアス収納です。

 

 さて皆さんはピアス収納と聞いて、何を思い浮かべますか???

 大抵こういうやつだと思います。

 これ、はっきり言って持ち運びにくくないですか?

 あんまり量も入りませんし、これはビジネス用…これはプライベート…あ、冠婚葬祭用もある…これは貰い物…エトセトラ…エトセトラ

 TPOをわきまえるオトナ女子の皆さんのピアスを全て収納するには量的に圧倒的に足りてないと思います。

 こういう持ち運べるタイプもありますが、割とお高いですよね…。

 そういうわけでつくりました。


  🐵もくじ🐵


 ここから本文だよん。

 

100均で必要なものを買う

 まず、100均に行きます。

 今回は天下のダイソーに行きました。

 

ピルケース

 これを買いました。部分的に取り外せる構造が神でしかない逸品です。

f:id:ddfilter:20180217223537j:plain

 大量生産大量消費の資本主義世代なので、量を優先しました。ぶっちゃけ大きいのってわかりやすいですし、小さいもののほうが全体的にわけわかんなくなりやすいですし。おすし。

 早速ビニールを剥ぎます。剥いだものがこちらです。

f:id:ddfilter:20180217223802j:plain

 もうこれに詰めるだけで完成ですね

 

 でも思いませんか? 文字邪魔だと。

 文字が邪魔だと。

 すごく、邪魔だと。

 私は、邪魔だと思います!!!!

 てなわけで消します。

   

ネイルリムーバー

 ダ○ソーでもセ○アでもいいので、除光液の大容量タイプを買います。

 

 除光液は今回以外でも主にプラスチックの塗装を剥がす用途で重宝するので、この機会に買っとくと吉です。

 私は、むしろこの用途でしか使いませんし。

 

 ネイル? ナウいのはジェルネイルでしょ???

 ごめんなさいイキリました。ごめんなさい。 

 

 私は既に持ってるので私物を使ってます。これも何年か前ですが、100均で買いました。わりと保ちます。買いましょう。

 適当にティッシュにつけて塗ると、こんな感じで落ちてきます。

f:id:ddfilter:20180217224720j:plain

 全部落として次の工程に進みます。

 

詰める

 詰めていきます。

 

 ……ツメツメ…ツメツメ…ツメツメ

 詰めたものがこちらです。3分クッキングみたいですね。

f:id:ddfilter:20180217225304j:plain

 もう完成してますねこれ。もう少し続きます。

 

まとめ

 やっぱりピアス初心者なんで、全体的にスカスカしてますね。寂しいので詰めたところをアップで撮ります。

f:id:ddfilter:20180217224838j:plain

 1日分で取り出せるピルケースなので、1列分を取り出したものがこちらです。

 持ち運びに便利ですね。

f:id:ddfilter:20180217224931j:plain

 やっぱり大きいものは入りませんね。

 てなわけで完成です。拍手拍手👏

f:id:ddfilter:20180217225041j:plain

俺は…流行に乗る…!!BEASTARS、感想。

 

 前回はえもーい文章を書いてました。麹橡です。前回の記事から数日しかたってないので何も起きてないです。むしろなにも起こる筈がないですね。

 さて、今回はこちら、『BEASTARS』を紹介します。

 ひと目見た瞬間、こう思いました。ズートピアじゃん。これズートピアじゃんおおおっおっおっーだめだったーうまくいかないーの無限リピートが脳内に高らかに響きます1

 読む前はそう思ってました

 

 大事なことなので2回言います。

 読む前はそう思ってました。

 

 いや買う時に『ソラニン』と迷ったんだけどこれ1冊500円でお釣りくるじゃないですか。この年になるとワンコインに収まる漫画とか有り難すぎましてね。わかりませんか皆様?

 あ、2巻も読みました。2巻までの感想で書きますね。ルイ好きだし

 すごいねー。人気だからかアマゾンにKindleしかなかったよ。

 TSUTAYAでコミックスを買って、早速読んでみます。

 

 ふむふむ…どれどれ………

 

 最終的に6巻まで買いましたソラニン新装版より合計の金額がかかってますし、これだからオタクはいけませんね。自戒自戒

 やったね、たえちゃん!6巻までの感想に増えるよ!

 2巻までとかうすぼんやりしたこと言ってごめんなさい。こうなれば既刊2全部読んだ感想でお届けしますよ。そっちのほうが面白そうだし

 


  今回の目次はこちら!!


 

 あくまでこの感想というものは私の主観でしか成り立たないものであり、そして人間は誰しも間違う生き物です。こういう前置き大事なんで今回も挟ませてくださいね。

 『BEASTARS』開幕です。

 

作品の概要

 やばいよやばいよー、ウィキありました。さすが少年チャンピオン前回とは大違いだよ

 さっそくあらすじを引用します。

全寮制、中高一貫のエリート学校「チェリートン学園」。ある日この学園内で、草食獣アルパカの生徒テムが肉食獣に殺されるという「食殺事件」が起きた。警察の見解では学内の肉食獣が怪しいとのことで、<中略>結局真犯人は見つからないままであり、学園内に生まれた肉食獣と草食獣の確執のようなものが消えることはなかった。 新入生歓迎公演「アドラー」に出演予定だったテムが亡くなったことにより、演劇部は代役を立てることを迫られる。そのやりとりのなかで、レゴシは演劇部の役者長・アカシカのルイに一目置かれるようになり、<中略>レゴシはハルと交流を重ねていくうちに、彼女に対して恋愛感情のようなものを覚えていく。<中略>レゴシは肉食獣の本能に抗いながら、ハルへの想いに殉じて行動していくようになる。

 え、長いよ… ウィキのあらすじ長すぎひくわ… これの2倍くらいの分量あったので勝手に削りましたウィキだけでは頼りないので秋田書店の公式サイトから引用します。

肉食獣と草食獣が共存する世界。そこには、希望も恋も不安もいっぱいあるんだ。 チェリートン学園の演劇部員レゴシは、狼なのにとっても繊細。そんな彼が多くの動物たちと青春していく動物群像劇が始まる!!

 短すぎるよ。なんで極端なんだよこんなに… 分量も印象も違いますが、どちらも間違ったことは書いてませんし、お好きなほうのあらすじで楽しんでください

 というか、秋田書店のあらすじ罠でしかないですね

 

 この作品、見た目に反してめちゃくちゃ暗いんです。青春イエーイ系ではなく、建前としての夢や希望すらないズートピアみたいな作品です。

 まずこの世界の肉食動物と草食動物は基本的に仲が良くないです。一線を引きつつも紳士的に振る舞っているところこか、薄氷の上のタップダンス感があって好きです。あと種族間でのまとまりも強く、ルームメイトは同じ種族で結婚相手すら同じ種族から選ばれることが殆どだそうです。

 思春期この時期って異質なものにビクビクしてしまうし、全寮制の学校って閉鎖的ですしおすし。種族が遠ければ遠いほどビジネスライクにしか付き合えないんですね。

 針の筵すぎてやばいですよね。

 実際にこの世界で生活したら、私は胃を痛めそうとしか思えませんけどね

 学校嫌いマンだからいいぞもっとやれとしか言えませんが。ダーク系の学園モノはいいぞ。青春のどうにもならなさを描ききってて凄く好きです。稀に青春の煌めきを感じるところとか、詫び寂びだし非常に良いですね。まじジャパニーズ。

 

作者について

 こちらもウィキから引用しますね。どどどーーん。

板垣が同様のテーマで描いたオムニバスの短期集中連載作『ビーストコンプレックス』(『週刊少年チャンピオン』2016年14号から17号までに掲載)が人気を得て、本格連載化した作品。以前から持っていたキャラクター(主人公のレゴシ)を高校生にして、世界観はそのままで舞台を高校にすれば少年漫画っぽくやれるかも、ということで連載が決まった。 本作は「擬人化した動物による高校生ライフを描いた作品」であるが、いわゆる“ほのぼの系ストーリー”ではなく、表面上は平和だが歪さを併せ持つ世界を舞台に、人間の本性を動物たちに置き換え、種族を越えた友情や恋と、逆に相容れることのない対立を描いている。 2018年、宝島社から刊行された「このマンガがすごい!2018」のオトコ編で第2位に選出された。 また累計発行部数は60万部を突破している。

 「このマンガがすごい!2018」2位なのがいいですよね。こういうので1位を獲得する作品は王道すぎるんですよねわかります。

 しかし、今回1位の約束のネバーランドも凄く面白そうなんですよやばいですよね。あらすじしか読んでないけど

 今年は豊作ですね。冬の幸の漫画で闇鍋したい3

 

 この作品なんですけど、絵本みたいなふわふわしてるタッチなのに、描いてる内容が R-15 くらいなのが好きなポイントです。あと動物の表情の描き方がうまいです。あと、デフォルメされてるコマの表情も好きです。

 毛皮がふわふわしてて素晴らしいです。唐突

 あと脇役キャラの作り込みが細かくて好きです。群像劇と書いてありますが、本当に細かくて群像劇なんです素晴らしいです。

 正直に言うとこれが最初の作品だからあんまり作者の傾向について言うことがなさすぎるんですほんとごめんなさいせっかく章まで作ったのにごめんなさい4

 

この作品のキャラクターについて

 この漫画なんですが獣人しかいないんですよね。

 この世界の主な獣人は基本的には 鳥、爬虫類、哺乳類 です。魚類は見たことないですし、虫は食用として出回ってるみたいです。

 こと世界の獣人が文化的な生活を送ってるところはズートピアなんですが、ズートピアほど動物としての本能が廃れてない世界です。

 建前的にはいくつかの対策が政府によってなされていますが、動物としてのどうにもならない本能はなくなりません。

 裏市がありますもんね

 

レゴシ

 ハリポタ原作より暗い少年漫画の主人公とか、おらはじめてだぁ。ワクワクすっぞ。

 

 レゴシはイヌ科最大の体格を誇るハイイロオオカミの17歳の少年です。

 繊細で優しい性格で、自分の大型肉食獣としての凶暴さを嫌っています。しかし、彼の持ってる優しさという美徳は、彼をあまり助けてはくれません

 もし、自分の倍の体格を持ち自分を一撃で殺せる生き物が、自分と同等の知能と倫理観を持っていて優しい性格であると理解しても、私は心からその生き物を信じることはできませんし、多分そういう理由なんでしょう。

 

 彼は部屋の隅で大人しくしてる感じの少年漫画の中では控えめすぎる主人公だったのですが、ハルを捕食しかけてから徐々に変わって行きます

 そして、自分に対する自己嫌悪と、相手を倒し勝ち取ることで自分を通す生き方への葛藤と、捕食衝動なのか恋なのかわからないハルに対しての気持ちで揺れに揺れまくります。

 繊細で優しすぎて答えが出せないのですよね。どれを選んでも何かを諦めないといけないのだから。

 ここで軸がブレまくるのは学園モノの少年漫画の主人公にありがちな優柔不断さとはまた別なところがいいんですよ、やってることは同じでも。ここテスト出ます

 

 レゴシは変わるしかないんです。

 自分でもよくわからない理想の自分に

 

 平等でありたいのに、この世界は平等じゃなくて平等にするためには自分の嫌っている暴力で自分を示さないといけなくて。自分のハルへの気持ちはエゴが詰まってるし、それでも気持ちを示したいと思うし。

 そして自分を否定して変わることは、すごく精神に負担がかかります。レゴシの場合、自己嫌悪と贖罪から始まってますしね。ほんと途中で精神病まないかヒヤヒヤしました。

 半分病んでるようなシーンもありましたが、さりげなく慰めるルームメイトが良心すぎてつらい

 この作品は成長の物語なんですが、肉体的な強さではないんです。色々な困難を乗り越えることで、レゴシはどんどん精神的に強くなっていきます。それは自己を主張する強さであり、現実と折り合いをつける強さでもあります。

 そしてそれらは全て、自分の気持ちに責任を持つ強さに帰結します。

 

 彼は成長して、大人への階段を昇っていきます。自我を掴むために、ひとりの生き物としてのアイデンティティを確立するために

 この作品は獣人間の差別を描いた物語でもあり、普遍的な少年の成長物語なのがすごいですよね。まさに千と千尋的な普遍さですね。作者神かよ…

   

ルイ

 ルイは、演劇部のリーダーで、18歳の少年です。

 プライドが強く、自分にも他人にも厳しくて、何事にも妥協しない性格です。突き抜けるカリスマ性で仲間をまとめるタイプのリーダーで、次期ビースター5の有力候補の1人でもあります。あと、他人に対して高圧的な部分もありますが慣れると可愛いです

 資産家の息子で、学校の人気者で完璧な彼なのに、彼はどうあがいても草食動物のアカシカであり、肉食動物に力で勝つことはできません

 

 この世界はある意味人間界よりも残酷で、生まれ持った種族差を覆すのはほぼ不可能なことなのです。

 演劇の役の中ではどれだけ力強く無敵でも、一生をかけて努力しても、ルイは肉食動物に力で勝つことのできない非力なシカでしかない。

 私はこの悲劇性だけでご飯3杯いけます。まじで美味しいです神様ありがとう漫画の神様。

 

 また、ルイは頭が良くて機転も利くし努力もするから虚勢を張るしんどい生き方ができてしまうのも魅力ではありますね。

 本当に強くないからこそ、「強く立派でなければならない」という思いに雁字搦めにされる。そして「強く立派になること」を「その他すへでの気持ち」よりも優先してしまう

 

 いやほんと、ご自分を大切にしてください

 自分の気持ちを大切にしてください6

 

 気が強くて弱味を見せないルイが、ごく稀に18歳らしい表情を見せてくれるコマがあります。その時のルイを、ルイ自身が大切にしてくれないのです

 強くて何でもできるからこそできるゴリ押しは時には痛快だけど、悲壮なんですよね。なんでそんな覚悟で挑まないといけないのですか。

 

 ルイは、18歳の少年なんですよ

 

 尊い。尊すぎますよ、ルイ。おじさんこういうキャラは幸せになってほしいと思うの。レゴシとは違い、涙を流してのたうち回るような尊さですね

 

ハル

 どこにでもいる?普通の?ドワーフ種のウサギの少女です。18歳。

 素朴でキュートな見た目と小さくて華奢なボディ、自己主張の激しい性格、そして圧倒的な経験人数を誇る、人類には早すぎるヒロインを地で行くスタイルで好きです。

 人類じゃないけどさ

 

 「周りの庇護欲を掻き立てるかよわいウサギとしての自分」が嫌いで、「周りの人に対等に見てほしくて」誰とでも寝て、そのせいで草食動物の中で孤立しています。

 そして、そんな自分を「エサでしかない」と表現してます

 ほんと内面が勇ましくて好きです

 

 草食動物の特に小動物は同族の仲間との助け合いが大切で、仲間内で孤立して1匹でふらふらすることはかなり危ないことなのです。ぶっちゃけ攫われたり食べられかけたりするのとかも、だいたい孤立して単独行動しているせいです

 この漫画では背景とかで色々な動物が出てきますが、草食動物は大抵複数で行動してます

 このハルちゃんなんですが、種族の生まれ持った特徴でなんでもかんでも決めつけられる世界への反抗心を、前の2人よりも素直に表現してて美味しすぎます。

 というか、自分に正直すぎるんですよね。自分に正直だからこそ、他人の「庇護欲を勝手に掻き立てられる姿」に我慢できずに指摘してしまう。

 

 多分、「敗者にすらなれず、エサでしかない」自分がすごく嫌いなんだと思います。

 

 最初はそれを「オスってみんなそうなのよ」っていくらかを相手のせいにして無理矢理納得してますが、途中から変わります。

 というか、レゴシと会ってから変わります

 セックスして勝手に相手のことをわかったふうになっているのは自分も同じなのかもしれないと、微量ながら思い始めます。

 色んなオスと寝ることで「かよわいウサギ」という枠から抜けたように思ったけど、結局自分は「セックス」という枠の中でしか対等に扱ってもらえないというコンプレックスが炸裂してます。

 というか、最初はそれでいいと割り切ってたけど、レゴシの純粋さにあてられてそう思えなくなってしまったのだと思います。

 言い過ぎな気がしてきたので少し消します。ほんと女心が難しい

 

 相手と対等になりたい自分と、草食動物の被食者としての本能と、かよわくて勝負の舞台にすら出れない自分に対する自己嫌悪でぐちゃぐちゃになりながらも、目の前のことにあっさり向き直ったりするところが女の子らしくて好きです。ほんと勇ましいです大好きです

 

 そして小動物の、せまい世界で生きるしかない諦めを所々に感じるのもポイント高いです。

 ウサギらしさを中途半端に諦めなくて孤立してしまう自分と、周りとは価値観が迎合しなくてもそれらしい振る舞いをしないと蹴落とされる草食世界の残酷さを感じます。私ならすぐ死にますね、ストレスで

 

 ハルは…何て表現していいかわかりません。

 ヒロインだけど、ヒロインじゃないんです

 

 肉体的には「かよわい」のかもしれませんが、「守られるためのヒロイン」ではないんです。ヒロインよりも生々しくて、記号的な生き物ではなくて、そこに血肉を感じるんです。

 ハルは1匹の「生き物」なんです。喜怒哀楽があり、痛みを感じる、この世界に1匹だけの生き物なんです。

 

 尊゛い゛よ゛存゛在゛が゛。

 

 その生き物を守るんだよヒーローすら引き立てるんだよ

 ヒーローのためのヒロインではなく、ヒロインのためのヒーローなんだよここ間違えたら落単させるぞオラ

 すいません調子に乗りました

 

 とても内面も魅力的なキャラなんです。是非是非、読んで確かめてくださいお願いします。

 ルイに対しての恋愛感情は強く生きてるルイに対する憧れが多い気がするけど、これは言い過ぎな気もするんです。女心って難しい

 

まとめ

 レゴシは、自分自身の肉食獣である部分を嫌っています。彼は、この草食動物ファーストの時代に、優しくありたいと願い、抑圧した日々を過ごしてきました。

 でも、獰猛なことはいけないのでしょうか

 他人を傷つけることはいけないことです。食べることもいけないことです。しかし、ただ純粋に獰猛な性格であることはいけないことなのでしょうか

 ルイは、草食動物なのに、肉体的な強さに固執します。草食動物が強さを求めることは、いけないのでしょうか。草食動物は勝者になれない存在なんでしょうか

 そして異なる種族との恋愛はいけないことなのでしょうか。交配できないかもしれない関係というものは、間違っているものなのでしょうか

 同じ種族、生物的に近しい種族としか仲良くできない世界は、間違っているのでしょうか。異なる種族とは、一生をかけてもわかり合うことができないのでしょうか

 間違ってないと示すために肉体的にも精神的にもボロ雑巾になりながら、必死に抵抗するレゴシは間違ってるのでしょうか。よくある青春のあやまちなのでしょうか。

 この作品は、この質問を問題提起として、我々読者に訴えかけています

 尾崎豊みたいですね。尾崎ワールドが展開してます

 

 試し読みはこちらです。今回はソク読みです。

sokuyomi.jp

 

 あらすじにも出てきた「アドラー」という劇は、ひと言で纏めるなら「死神が死ぬ筈だった少女をつれて追手から逃げる」という話です。

 運命は切り拓くものと他人は簡単に言いますが、切り拓けない運命を無理矢理切り拓くのは、簡単にできることではありません

 

 事実、この劇では最後、死神と少女は死んでしまいます

 

 「捕食衝動からくる愛情かもしれないけど、本能に負けずに真っ当な恋愛をしたいと思い、周りと闘うことでこれを証明する」レゴシは、もしかしたら、知らず知らずのうちに運命を切り拓こうとするひとりのアドラーなのかもしれません。

 ちなみに、ルイアドラー性の強いキャラクターなのですが、色々とネタバレになるので割愛します

 

 『BEASTARS』は複数形なんです。私はこれを、意味のあることだと思います

 

 最後に、2/8日発売の新刊を貼ってしめさせていただきます。以上、麹橡がお送りしました。

BEASTARS 7 (少年チャンピオン・コミックス)

BEASTARS 7 (少年チャンピオン・コミックス)

 


  1. 作者の偏見です。

  2. BEASTARS』6巻までのことです。

  3. 考えるのではなく感じてください。

  4. ごめん。

  5. チェリートン学園ナンバー1の称号であると同時に、肉食動物でも草食動物でもない動物として英雄視される存在となることを意味する。ウィキ引用。

  6. BANANA FISH』終盤のアレです。私は泣きました。

ブログなるものを始める。BLが好きではない人に向けたやたもも感想。

 

 こんにちおはよばんわ。漫画を解釈したいとかエモいこと言ってブログを始めました。麹橡です。そういう名前のブログ主です。

 漫画を読みおわると嬉しくなって感想サイトを漁るのですが、その度に妖怪コレジャナイが出現するので自分でつくりました。あくまでこの感想は私の主観で成り立ってます。そして人間は間違ったりします。変なこと言ったらごめんなさいね。

 さて、今回は『やたもも』です。時期とかが旬では全くありませんが解説していきましょう。理由は私がやりたいからです。

やたもも (バンブーコミックス Qpaコレクション)

やたもも (バンブーコミックス Qpaコレクション)

このブログ、初手からどの層を狙ってるかよくわからないよね私もそう思う

 ぶっちゃけ「彼女の部屋にこの漫画あったけど俺、BLとか嫌いだわブラウザバック」とか思う人にこそ、このブログを呼んでほしいです。ネタバレとか置いといて、あなたのBLに対しての気持ちが変わります多分。好き嫌いがあるのすごくわかるし、なんなら漫画は見なくていいからブログだけでも見て考えを変えてほしいな。あわよくば漫画に手を出してほしいな。私としてはそう思ってます。

 前置きが長くなってしまいましたね。さて、始めていきましょう。


  今回の目次だよ!!


 

『やたもも』概要

 まず先程のアマゾンさんからあらすじを貼ります。先に言っておきますが、この漫画は純愛漫画です。

生活能力ゼロ、究極ビッチでクズでろくでなしのモモ。 オカン系男子で面倒見のいい純朴青年、八田(やた)ちゃん。 公衆トイレでの〝事後処理〝中に遭遇、という最低最悪の出会いから、八田ちゃんの人の良さにつけこんで、家に転がり込むことになったモモ。  彼と過ごすうちに、ろくでなしなモモに少しずつ変化が…。  そんな矢先、モモの過去のパトロンが表れて―――。 

 純愛とはなんだったのか…

 はじめてのBLでもわかる変化球系純愛漫画ですね。表紙ではあんなに純愛だったのに…。この文章だけ読むと、八田ちゃんがいい人でモモが更生しかけた?ところくらいしか純愛要素無いですよね。未だかつて純愛漫画のあらすじにパトロンなんて言葉が載ったことがあったのだろうか、いやない。

 はいそして普段BLを読まない貴方は気になってるワードがあるでしょう。ズバリ、”事後処理” です。

 やった後に掻き出すことです、以上。

 BL漫画あるあるですが、苦手な人は苦手な性描写ですね。エロをファンタジーで楽しむには才能がいるアレです。ちなみにこの漫画は性描写が多いです。回数で言うなら2桁いくのではないですかね、知らんけど。エロ漫画だと思って読んでたらいつの間にか泣いてた系の純愛漫画です。 90年代の泣きエロゲを思い出しますね。

 その他の細かい登場人物もいますが、大体は面倒見のいい八田ちゃんによってクズで誰とでも寝るモモが更生したり更生しなかったりしてパトロンの須田がちょっかいかけてくる漫画です。ほぼあらすじと同じですねこれ。

 

作者の傾向

 この漫画を書いている作者についてです。面倒くさいから引用ドーン

 ドーンしたかったのですがウィキすらないですね…。ていうか個展あったんですね。イキタカッタ…つら

 色々なサイトをまとめると、「BL界の鬼才」と呼ばれ、画力ストーリー構成力臨場感のあるエロシーン独特のコマ割りなどで才能溢れる人だそうです。そして細かいプロフィールは不明です。

 少年マンガかよ(褒め言葉)

 つまりクズとか人間のエゴとかを描かせたらはらだ先生の右に出る人はいない、期待の新人なのよ。ダウナーな作品をよく描く。そして『やたもも』ははらだ先生の人気作です。はらだ先生の中では明るくて読みやすい作品です。

 特にストーリー構成力が優れているのが特徴的で、ぶっちゃけBLはエロ漫画的な部分があって、ヤマもオチもなくてもフェチに刺されば売れる商品なんですね。その中で突き抜けたストーリー構成力を誇るはらだ先生はまさに鬼才なわけです

 具体的にはエロシーンしかない漫画描いてその中に陳述のトリック使ったりする 変態(褒め言葉)です。漫画の最初によくついてるキャラの紹介とかもエロシーンで表現します。映画ルパンの冒頭カーチェイスみたいなスタイリッシュなことやるのよ。「いっけなーい、遅刻遅刻。私、○年○組の主人公の名前。」みたいなある意味でダサい入り方はしません。映画コナンみたいなね。この『やたもも』も1話はそんな感じで流れます。

 

やた

 突っ込むほうです。

 彼は面倒見がいいと何回も書きましたが、彼は真性の善人です。別に世界を救ったりする系のヒーローみたいな善人ではありませんが、「落とし物を交番に届けず、落とし主までわざわざ電車に乗って届けに行く」みたいなそこら辺にいそうな善人キャラなのです。

 そんな善人の彼だからこそ、いきあたりばったりで拾った顔がかわいいヒモ(モモ)にすらまともな恋人としての関係を築きたいと思うのです。ここまでは素晴らしい面を書き出しましたが彼も人間です。

 嫉妬心独占欲が強く、セックスがしつこいです。

 プレイ内容ではなく回数がしつこいタイプの体力馬鹿で、過去では主にそれが原因で振られたりしてます。人間は誰しも聖人君子ではないといいますが、善人の八田ちゃんにも欠点があるんですね。

 噛みグセのある善人とかウケるわマジで。

 あと、オナホに嫉妬するのとかどうかと思いますが、男の人ってそういう人多いですよね、という偏見

 こういう変な人間臭さが滲む描写も、この作品の醍醐味なんですよね。時折挟まれたセンスが輝くギャグと、全編に渡る「根が善人の八田ちゃんがモモに振り回されまくるところ」とか凄くコメディじゃないですか。そうこの作品はラブコメでもあるのてす

 彼はなんだかんだ葛藤したりもしますが、結局善人でお人好しな部分が勝ってしまいます

 そういう業が深いところが八田ちゃんのある種の滑稽さとか、人間味とかであり、モモを思う真っ直ぐな気持ちの原動力でもあるのです。言い換えると、他人から見たら滑稽に見えるほど全力で相手を好いている。そういう男なんですよ八田ちゃんは。どのシーンを見ても、モモへの好意が滲んでますよね。それはデレでもありますし、純粋な隣人愛でもあります。そういう愛の深い男なんです。マジ漢ですよね

  

もも

 突っ込まれるほうです。

 クズだクズだと書きましたが、タバコギャンブルを嗜んでる時点でクズでしかないですね。仕事もしてませんし

 そんなモモですが、八田ちゃんと付き合い出してから転機が訪れます。

 ひとり暮らしを始めるためにアルバイトをはじめますいや普通じゃん?って思うよねわかる

 24まで愛人業とヒモしかやったことない奴が昼職に出るって相当なことなんだよ。

 そういえば、ねほりんはほりんパパ活回でそんな話してましたね。パパ活は金銭感覚狂うってやつ

 モモはクズというか生活能力が無いキャラとして描写されてますが、生活能力が無いのは生活能力スキルに経験値を振るような生活をしてこなかった要因が大きいです。それは貧困だったり教育不足であったり、容姿と若さしか必要とされない愛人業を続けてきたせいなのかもしれません。

 そんなモモにも喜怒哀楽がありますし、時々出てくる平仮名の多いセリフの、独特のあの言い回しとか、ふとしたコマの表情とかに現れてます。

 モモは肝心なシーンで顔を見せてくれなかったりしますが、あの微妙な表情の違いはハマるとクセになりますよ。あと服が適当だったり全裸で寝てたりするのザ・貧困って感じがしていいです。作者の観察力というか表現力高すぎでしょ。

 可愛い可愛いヒロインではなく、社会というものに殴られながら、それでも飄々と生きてる一人の人間なんですよねモモは。愛すべき性格ではないかもしれませんが、ある種の切実さとか必死さとかが垣間見えてギャップで死にそうになりますよ。

 グッピーなら何回も死ねますね、やったね

 結局、ひとり暮らしのストレスによってまたギャンブルに手を出したりしてましたけどね。娑婆はつらいけど生きてくしかないんですね。なんだか見ていて元気出ます。たまに泣きそうになるけど

  

まとめ

 こんなに語ってまだ語るのかよと思いますが、もう少し続きます。

 純愛漫画なら恋愛を綺麗に描かないといけないっていう中で、泥臭くコメディエロ漫画なこの作品は浮いている存在です。

 でも綺麗じゃないから感動できるんですよね

 モモは結局更生したかしてないかわからないし、八田ちゃんはなんだかんだでモモに振り回されます。この圧倒的なリアルさと人間味

 ゼクシィのキャッチコピーとか見てると思うのですが、この時代で恋愛をすることは大変なことなんだと思います。純粋な恋愛なんて白馬の王子様と同義語で、多分誰も憧れることはできても心から信じることができない存在だと思います。

 この作品は、あまりにも泥臭く、そして今の時代の恋愛のリアルさが詰まってます

 試し読みはこちらでできます。代表コミックシーモア。

www.cmoa.jp

追記1

 このブログでは触れていない須田についての項目です。元パトロンの表現からもわかりますが、「モモとまっとうな恋人関係を築こうとする」八田ちゃんとは逆の関係性として描写されます。一見BLで正統派の攻め(いわゆるスパダリ)としてよく出てくるこういうキャラ*を当て馬として表現するところが素晴らしいですね。

 須田を振りきってモモが八田ちゃんと歩むことを選択することによって、「ヒモとして誰かに依存して飼われる生活をしていたモモが、八田ちゃんとお互いに自立したまっとうな恋人として生きていこうともがく姿」を表現しているんですよ。少年マンガですね納得の感動脳内がスタンディングオベレーション

 ちなみに、須田の欠点として描かれてるこの「他人と対等の関係を築こうとしない姿勢」なのですが、作中では「あいつもさ、どっか欠けてて不安定なやつなんだよ」とセリフの中で描写されてます。

 「も」なのが憎いですよね

 人間誰しも歪んでいるものですし、はらだ先生は八田ちゃんもモモもどこか歪んだ存在として描写してます。

 その誰しも持ってる凹と凸が一致する相手がいたのなら、それは幸せなのことではないか。このことを全編を通して読者に訴えてます。感動しかないですね。

 

追記2

 このブログでは『やたもも』1巻までの内容にしか触れてませんが、このシリーズは3巻まで出てます。2巻3巻は新キャラも出ますし、さらなる引っ掻き回しの大旋風が起こります。めちゃくちゃ面白いし感動しますし読んだ余韻も凄いです。

 是非是非お願いします

やたもも 2 (バンブーコミックス Qpaコレクション)

やたもも 2 (バンブーコミックス Qpaコレクション)

やたもも 3 (バンブーコミックス Qpaコレクション)

やたもも 3 (バンブーコミックス Qpaコレクション)

 ドラマCDもありますよ。是非是非

 リンクうまく貼れなかったんで各自アマゾンで検索してください

 

 「割れ鍋に綴じ蓋」と言いますが、割れてる鍋だから綴じてる蓋が合うのではなく、割れてる鍋と綴じてる蓋がぴったり合うから尊いんですよ。恋愛とはある種の日常であり、またある種の奇跡でもあるのです。

 

 以上、ほうれん草のおひたしわさび醤油で食べるのが好きな麹橡でした。