Daydreamという色

読んだものについて適当に書くブログ(雑多です)

円堂守が嫌いだった話

 

 私の住んでいる町で、イナズマイレブンが流行ったのは私が高校生の時であり、私は日々自傷に励みながらも、勉強をすればいつかきっと立派になれるなどと、見当違いの期待を胸に暮らしていた。

 

 その頃の友人のひとりが、円堂守ではなかったがイナズマイレブンが好きだった、ように思う。私はその子の話に相槌を打ちながらも、内心では少しだけ見下していた。

 

 私は、イナズマイレブンについてあまり知らず、時折妹が見てたテレビでは、円堂守が「サッカーしようぜ」と毎回のように言っていた。

 

 私はそれが嫌いだった。

 

 好きな事ばかりして、生きていける筈がない。私は毎日次のテストの事しか考えてなかったし、大人になったら嫌でも働かないといけず、他人と上手く話ができない私のような人間でも、無理矢理にでも働かないといけなくなると信じていた。

 

 テレビの中の円堂守は、何があってもサッカーへの愛を謳っていて、それを見る度に心が苦しかった。

 

 そうやって現実逃避に明け暮れていた私は、見事受験に失敗し、大学でも馴染めなくて、それでも大学に行くしかなかった。

 

 うまくいかず、留年した。

 

 ある日、小説を書いた。

 

 私はそれでも周りと話すのが怖くて、書くだけ書いてウェブに投げて寝た。

 

 暫くして、同じジャンルの小説が増えた。

 

 好きだった創作者が、同じテーマで書いてくれた。

 

 私はそれが泣くほど嬉しくて、大学の愚痴を言っていたツイッターに感想を大量に書いた。多分、その頃にツイッターを見てる人の、誰にも意味がわからなかったと思うけど書かずにはいられなかった。

 

 色々あって、好きだった創作者さん、尊敬してる作家さん、色々な人から曖昧に感想を貰えるようになった。夢のような日々だった。私は毎月のように小説を書いて、毎日が楽しかった。

 

感想を貰えば「ありがとう」が自然と出てきて、いつの間にか「みんなが好き」だなどと、似合わない台詞を言う人間になってしまった。

 

 人間は、そんな善良な生き物ではない。

 

 最初に投稿してから半年が経ち、私はどこぞの恨みを買ったのかバッシングにあい、纏まった文章を書くのが難しくなった。不思議なことに個人情報が全てばら撒かれ、電子媒体の中に文章を残すことが難しくなった。

 

  知っている。私は昔、何度もいじめられた。小学校の時には、同級生に殴られて、陰口を堂々と言われたりもした。いじめっ子はいつだって中途半端にしか殴らないし、殴った後にひどく興奮した表情で他人をせせら笑う事が多かった。

 

  私は、小説をやめることができなかった。

 

 この1週間ほど、毎日「次は何を書くか」を考えている。

 

 他人が書きかけの文章を読んでるから、ここ1週間ほど電子媒体に触れてないから、最近何も書いてないから、そんな理由は私を止めてくれなかった。

 

 いつか、真面目に働く日が来たとしても、私は小説を、次の主人公を考え続けると思う。

 

 小説を書くのを、楽しいと思っているのか辛いと思ってるのか、私にもわからない。

 

 目を瞑ると広がる世界がある。それでいいと思えるまでに二十年がかかり、いまだにそれを楽しむことが私はできない。

 

 楽しめたら、いいなと思う。

 

 高校生の頃の私は、円堂守が嫌いだった。

 

 私は彼に対して多分もっと複雑な気持ちを抱いていて、それを「嫌い」と言う言葉で纏めることしか、かつての自分にはできなかった。

 

 この1週間、他人に何を言われても続けたいと思えるものが、自分の中に残っていったことに驚いて、それが何故か嬉しかった。

 

 好きなことばかりして、生きていけるわけがないことなんて、物心ついた頃からわかりきっていた。

 

 それでも、私はきっと小説を書くだろう。

 

 目を瞑ると次の主人公が少し上体を傾げて石造りの尖塔を登り、天辺付近で旗を振る。すこし荒れた岩があちこちにある平原が広がっていて、雲のない空は少し霞んでいる。

 

 彼の顔を、私は知らない。