Daydreamという色

読んだものについて適当に書くブログ(雑多です)

『アフロ田中』と私の童貞。

 

 『中退アフロ田中』を読んでみた。もう少しなら3巻までの無料期間があります!! この機会にどうですか? とステマでも撒いておく。

 

 感想文のくせにこのブログの本題はそこではない。きっかけはこんなツイートから始まった。

 

 彼は時々、私が一方的にツイートを漁る関係のうちのひとりであるのだが、これを書いてる私は、正直きっかけなんてどうでもいいのではないのだろうか。

 色々な経緯があったとしても、アフロ田中の読了後の余韻から見ればそんなの、食パンくわえて曲がり角でイケメンとぶつかる程度のものだろう。もちろん少女漫画はイケメンとぶつからないと何も始まらないのだが、イケメンとぶつかるシーンはぶつかる時しか出てこないのと同じ原理だ。

 気になるなら各自でリンクの日付で絞り込み検索を行うなどをして調べて欲しい。

 

 私の感想をまとめるとこうなる。

 私は自他共に認める喪女なのだが、喪女なら『アフロ田中』よりも、今をときめく『やわ男とカタ子』などの方に共感すべきなのに、私の心の喪女は『アフロ田中』を求めていた。

 多分、私が捨てたかったのは女の私には無い筈の童貞という概念なのかもしれない。それを誰も教えてくれなかったから、私はこれを記している。

 

私の童貞とは何だろう

 喪女喪女と言っているが、喪女からの脱却には2種類の方法があると思う。

「童貞を捨てる方法」そして「処女を捨てる方法」で、今の時代ですら、マス受けするのは後者の喪女からの脱却劇である。

 外見を磨きコミュニケーション力を磨き自信をつけてコンプレックスを粉砕する。少女漫画で古くから見られる古典的な方法である。それに少しの今の女性の流行と友情、恋愛というスパイスを加えたら、世の女は皆虜になると言わんばかりの堂々たる風格を感じる。

 つまり、こういうやつである。

 

 でも、本当にそれだけで喪女から脱却できるのだろうか。私の心の喪女はNOと言う。

 喪女はそんな外見と自信と正しい恋愛で捨てられるものではないと思う。勿論、外見を磨き自信をつけることは、恋愛のスタートラインに立つためには重要だと思っている。しかし、本当にそれだけで喪女を倒せるのだろうか。スタートをキメてもゴールが無いと走れないけれど、果たして恋愛にゴールなんてあるのだろうか。

 

 そしてきちんとゴールしないと、恋愛しないといけないみたいな風潮も感じる。だって女の子だもん。これほど暴力的なまとめ方もそうそうないだろう。私はそこら辺の人間よりも、どうもロマンスというものを信じることが出来なくて、私の恋愛はそこに大きなコンプレックスがあると言っても過言ではない。

 走る方法がわからないのではなく、走る目的がわからないのだ。メロスだって理由があって走ってるのに、そんなロマンスだかノリだか同調圧力という、正体のわからないもので走ることが私にはできなかった。

 実際、同学科の数少ない女子の半数くらいは就職の折に正しい恋愛と野望とキャリアを天秤にかけ、キャリアというかバリバリ働くことを諦めている。いわゆる学部外のサービス業系求人への就職、または派遣の事務職になるのである。

 これは、今のご時世では典型的な地方F欄国公立からの共働きな恋愛のパターンであるのだが、いったいこれのどこがいいのだろう。どこにも憧れる要素がないと私は思う。

 これは男女間の雇用格差を言いたいのではなく、あくまで私の考えの、二次元によくある「理想の恋愛」との相違みたいことだと思ってほしい。

 

 きっと「処女を捨てれない皆様」は、「理想の恋愛像」という何かを持って生まれるのだろう。そして、理想と現実のギャップを埋める方法を求めて、ネットの海を彷徨っている。つまり「理想の恋愛」がしたいのだろう。

 

 でも、私はどうだろう。

 私には、一般的に女性は持ってる(と言われている)とされている「理想の恋愛像」が無いのかもしれない。特定の外見をシコいとも思う能力はある。一緒に生活するなら、生活していくのに都合の良い人がいいと思ってる。でも、それって「理想の恋愛像」なのだろうか

 そして、私のこの考えは「適当にヤれて適当に可愛い女いねぇかな。面倒くさくないタイプの。」って思ってる童貞諸君と大差無いのかもしれない

 「恋愛したいけど理想の恋愛ができない」という強い欲求とは違う、「恋愛はしたい。だが、理想の恋愛なんてしたくない」というこの欲求。ここに私の童貞がいるといっても過言ではないだろう。

 

 そして「恋愛」をすることで「理想の恋愛」と「実際の恋愛」のキャップから「自分自身がやりたい恋愛」を探す。それが童貞の卒業なのだろう。

 

 だって、私が考えている「理想の恋愛相手」は、突き詰めると「心から惚れた特定の誰かではなく、特定の条件を持ってる誰かのうちのひとりから、存在を承認されたいな」という感情だからである。

 下手な話、私にとっての「理想の恋愛相手」は潰しのきく存在でしかない。

 これは怖いことなのかもしれない。恋愛に性差があると言い切ることはできないのだが、女性は往々にしてこのことを自覚できないことが多い。でも、潰しがきく相手との恋愛は不毛だとも思えない。

 

 詰まるところ、世の中の女性は目先のロマンスに気を取られて、自分の童貞性を自覚できてないのである。そしてその童貞は結婚という「理想の恋愛」のゴールの後に姿を表し、童貞を飼いならせないと離婚でもするのだろう。

 だから私は自覚できてよかったと思う。ありもしないロマンスに乗せられるのはやはりどこか不快だとも思うし、自分の欲望を本当に理解することは、今後の人生においても重要だろう。

 

 それにしても、アフロ田中を語る筈なのに、アフロ田中が少ししか出てこない奇妙な文章になってしまった。アフロ田中の内容について語るなら、アフロの気持ちと後半の収束具合がうまく纏まってて良かったと思う。

 これを今後の課題として、これからも、地道に文章を書いていこうと思う。